そごう
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2.歴史
2.4.増床や多店舗展開の推進
神戸店は増築・増床を進めて売り場面積約31,800m2へ倍増させ[7]、1971年(昭和46年)には年間を通じて神戸一の売上を上げて地域一番店となり[1][7]、その後も隣接する国際会館と共同でケイエスビルを建設して新館とするなどさらなる増床で売り上げを伸ばし[1]、阪神大震災前には売り場面積約48,962m2まで拡張した[7]
また、1967年(昭和42年)3月21日に千葉そごうを開設して[1]開業2年目で地域一番店となり[7]、3年目に早くも黒字化するなど軌道に乗せ[7]、多店舗展開にかじを切ることになった[1]
多店化に当たっては、レインボーロードといわれる国道16号沿いに立地して東京都心部を包囲するように出店する戦略を採ったほか[6]、「交通のよい最適地に最大級の百貨店をつくる」ことを出店戦略の基本として店舗展開を進めた[7]
この出店計画は、旧名称「十合」の十にちなんだ出店戦略「グレーターそごう(全国10店舗)」と名付けられ、「千葉そごう」の出店を皮切りに「黒崎そごう」で達成した[7]
その後は、それを拡大する形で「ダブルそごう(世界20店舗)」「トリプルそごう(世界30店舗)」などと称して積極的な展開をした[7]
多店舗展開の当初は千葉そごうが出資する形で始まり、初期の出店である柏そごうや広島そごうも黒字転換後は出資側に回って出店戦略を支える形式をとっていた[7]
こうした新たな地区への出店を進める一方で、千葉そごうが1972年(昭和47年)10月に別館を増設したほか[1]広島そごうは1974年(昭和49年)10月に開店した際には売り場面積が10,000m2未満に抑えられたにもかかわらず30,000m2へ増床可能なように建設すると共に近隣にサテライト店舗を展開して集客力と売り上げの拡大を目指すなど[6]、店舗の増床も積極的に推し進めて地域一番店を目指した[6]
そうした増床戦略の最盛期には、千葉そごうがモノレール駅と一体化した新店舗を開設すると共に旧店舗を業態転換させることで4館合計で売り場面積約90,000m2体制)としたり、NTTクレド基町ビルに広島そごう新館を開設するなど主力店周辺に店舗を出店して立地地区の集客力を強化する戦略も展開していた[7]
また、そごう本体でも、御堂筋の西側にある南区鰻谷西之町に駐車場ビルを建設するなど大阪店のテコ入れを図ると共に、有楽町の東京店についても読売新聞との家賃引き下げ交渉のみではなく、地下鉄有楽町駅と地下売り場を直結させるために交渉をするなどテコ入れを図った[1]
さらに、アジアへの出店では日本人観光客を狙うのではなく、地元の消費者を狙う戦略で出店しており、香港そごうが約85%、台湾太平洋そごうで約95%が地元客といわれる地元密着の百貨店となった[7]
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(2.3.営業再開から経営の混乱へ)
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(2.5.民事再生法適用など破綻処理へ)

1. 『株式会社そごう小史 創業百五拾年』そごう、1979年12月。
6. 山森俊? 『そごう怒涛の大航海―「水島そごう」日本一への出帆』デパートニューズ社、1988年1月。
7. 佐藤正忠 『そごう」に新しい神話がはじまった』経済界、1994年5月。

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出典:Wikipedia
2018/04/20 04:00
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