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そごう
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概要
セブン&アイ・ホールディングス > そごう・西武 > そごう そごうSOGO)は、セブン&アイ・ホールディングスの傘下の株式会社そごう・西武が運営する日本の百貨店である。

また、株式会社そごう(英: Sogo Co., Ltd.)は、2009年7月31日までこれを運営していた企業である。

概要[編集]

2009年(平成21年)8月1日付で、かつての運営会社「株式会社そごう」が、西武百貨店と持株会社のミレニアムリテイリングを吸収合併し、株式会社そごう・西武に商号変更した。

大阪が発祥の百貨店である。登記上の本店は創業から大阪店閉店までと心斎橋本店開店からそごう・西武への再編前まで長年大阪心斎橋にあった。横浜店は売場面積 (83,654m2) と売上高(1,000億強)が最大。1957年(昭和32年)、有楽町にも開店し、「有楽町で逢いましょう」を宣伝文句に東京に進出した。同名の歌番組、歌謡曲、映画が制作され、大流行になった(有楽町で逢いましょう#楽曲作成経緯とそごうの歴史参照)。映画では大阪店・有楽町店が撮影に使用され、衣装提供も行なった。

「人、街、世界をつなぐ、そごうネットワーク」なるキャッチフレーズも存在した。西武百貨店と統合したことで、MDや売場編集を西武流に。POSシステムの技術提供も受け、良きにつけ悪しきにつけ従来のイメージは一掃された。

イメージフラワーはダリアで、かつては包装紙や紙袋に印刷されたほか、関連組織の名称にも、ダリアルーム、ダリア友の会など、ダリアを冠したものがある。

ロゴマークは創業以来、初代十合伊兵衛の生家・屋の家紋であるちきり(縦糸を巻くための織機の付属部品。また石材や木材を繋ぎ止める部品の名)を丸で囲んだ「まるちきり」が使われている。ちきりはまた「ちきり」という言葉と「契り」の連想から、客との結びつきを末長く大切にといった意味も含んでいる。

ロゴマークの形状自体に変更はないが、色については、翡翠を経て、民事再生直後に原点回帰志向のもとで赤に、さらにミレニアムリテイリンググループのカラーとしてのに変更している。また、民事再生以前については、「そごう」ロゴと「SOGO」ロゴとが存在した。後者が後発で、前者も民事再生時点まで併用されていた。ロゴカラーが緑の時代には、続け字で右上がりの「Sogo」をCIに採用した時期もある。外装への採用例としては1996年(平成8年)から2001年(平成13年)の神戸店本館北側の壁面がある。

POSシステムは、日本電気(NEC)製を使用。

歴史[編集]

創業から百貨店へ[編集]

大和国十市郡十市村で絹屋として商売を行っていた徳兵衛の息子として生まれた十合伊兵衛(そごう いへえ)が1830年天保元年)に大坂南渡辺町の坐摩神社(陶器神社)の南隣に古手屋(古着屋)「大和屋」を開業したのが始まりである[1]

1872年明治5年)に古手屋を廃業して呉服店へ転換し、1876年(明治9年)に安堂寺橋通三丁目に移転。翌1877年(明治10年)には心斎橋筋一丁目に移転すると共に十合呉服店へ改称[1]

1901年(明治34年)4月3日には神戸市元町五丁目に神戸支店を開設した[1]。この神戸店は順調に売り上げを伸ばし、阪神電気鉄道三宮駅ビルへの出店する形で1933年昭和8年) 10月1日に移転・増床して、百貨店として開業した[1]。この移転以降は「神戸そごう」というひらがな表記を用いており、その後の各店舗での「そごう」表記の第一歩となった[1]

1935年(昭和10年)9月24日には大阪・心斎橋の本店として村野藤吾設計の地下3階・地上8階建ての新店舗へ建て替え工事を行い、増床と近代化を実現した[1]。昭和15年に「十合」、株式会社設立の昭和44年に「そごう」となった[2]

心斎橋の新本店ビルはガラスブロックを活用した美しい垂直線を強調したもので[1]モダニズム建築の傑作との評価もされている。この店内には700名収容の劇場や茶室、貴賓室、食堂など売場以外の機能も併設されていた。また、開業直後には大阪市営地下鉄御堂筋線が開通し、心斎橋駅と直結することになった[1]。心斎橋本店は全館一挙に建設されたのではなく、2期に分けて建設されたが、その内の2期工事の建設費は板谷宮吉率いる板谷財閥の資本導入により実現したとされている[1]

戦時下と戦後の売り場縮小と代替事業[編集]

第二次世界大戦中は配給品以外の商品が大幅に減少したため、売り場に空きが生じたことから、大阪本店の地下2階部分を活用して「家財保護預り」を行い、顧客の財産を守る事業も展開した[1]
この保護預かり制度は話題を呼び、大阪市内のみならず、大阪府下全域からの利用者があった[1]

終戦後は、進駐軍が本店を徴用し、PX(進駐軍とその家族向けの売店)として利用したため、百貨店としての営業が出来なくなり、大阪市内に在日外国人向けの輸入品店「オーバーシーズサプライズストア」を含めていくつかの店舗を展開して、営業機能の一部を代用する形になった[1]

営業再開から経営の混乱へ[編集]

日本デパートメントストア協会など業界を挙げた接収解除運動もあって接収解除が実現し、1952年(昭和27年)6月1日に大阪本店の営業を再開した[1]

しかし、この間約6年にわたって本店で営業できなかったことの影響は大きく、再開店から1年後には早くも売上が伸び悩むことになった[1]

また、一時期は外部からのグリーンメーラーによる株買い占めに遭った[3]

1957年(昭和32年)5月25日には[4]、有富光門が主導して読売新聞の建設した読売会館に東京店を開店した[3]。しかし、この東京店は有富と読売新聞社主であった正力松太郎の間で一坪当たり月額4,000円という高額の定額家賃の契約を結んでいたため、月商約3億円で約7,000坪で約2800万円の家賃は、当時業界の常識とされていた売上高の約3%から5%を大きく上回って採算が合わず、業績の足を引っ張る結果となった[3]

1958年(昭和33年)4月に関西財界の顔役で日本繊維工業社長だった坂内義雄を社長に迎え、板谷宮吉の縁戚とされる当時日本興業銀行(現:みずほ銀行)特別調査室付考査役だった水島廣雄が副社長として就任し、主取引銀行の大和銀行(現:りそな銀行)常務から同じ副社長に就任した若菜三良と共に再建に取り組むことになった[5]

ところが、1960年(昭和35年)11月26日に坂内義雄社長が急逝し、当時慣例化していた当社の大株主で大口債権者である大和銀行と野村証券山一證券、板谷宮吉、住友正雄で構成される「5者会」に諮ることなく、同年12月23日の取締会において大和銀行の意向で同行出身の若菜三良が副社長から社長に就任したため、5者会を構成する他者が反発して経営権を巡って抗争が生じることになった[6]。この経営権を巡る争いは大和銀行が公正取引委員会に提訴されるという事態に発展し、1961年(昭和36年)10月26日にアサヒビール社長山本為三郎の仲介でようやく終息を見た[6]

この経営権争奪戦の解決を受けて1962年(昭和37年)1月30日に増資を決議して同年6月1日に資本金10億円へ増資し、同年4月26日に水島廣雄が副社長から社長に就任した[6]

増床や多店舗展開の推進[編集]

神戸店は増築・増床を進めて売り場面積約31,800m2へ倍増させる。[7]そして、1971年(昭和46年)には年間を通じて神戸一の売上を上げて地域一番店となる。[1][7]その後も隣接する国際会館と共同でケイエスビルを建設して新館とするなどさらなる増床で売り上げを伸ばした。[1]阪神大震災前には売り場面積約48,962m2まで拡張した[7]

また、千葉そごうを1967年(昭和42年)3月21日に開設すると、[1]開業2年目には地域一番店となり[7]、3年目に早くも黒字化するなど軌道に乗せた。[7]これにより、多店舗展開にかじを切ることになった[1]

多店化に当たっては、レインボーロードといわれる国道16号沿いに立地して東京都心部を包囲するように出店する戦略を採った。ほかでも[6]、「交通のよい最適地に最大級の百貨店をつくる」ことを出店戦略の基本として店舗展開を進めた[7]

この出店計画は、旧名称「十合」の十にちなんだ出店戦略「グレーターそごう(10店舗構想)」と名付けられ、「千葉そごう」の出店を皮切りに「黒崎そごう」で達成した[7]

その後は、それを拡大する形で「ダブルそごう(20店舗構想)」「トリプルそごう(30店舗構想)」などと称して積極的な展開をした[7]

多店舗展開の当初は千葉そごうが出資する形で始まり、初期の出店である、柏そごうや広島そごうも黒字転換後は出資側に回って出店戦略を支える形式をとっていた[7]

こうした新たな地区への出店を進める一方で、千葉そごうは1972年(昭和47年)10月に別館を増設した。[1]また、広島そごうは1974年(昭和49年)10月に開店した当初は、売り場面積が10,000m2未満に抑えられていたが、将来的に30,000m2へ増床可能なように建設された。共に近隣にサテライト店舗を展開して集客力と売り上げの拡大を目指すなど[6]、店舗の増床も積極的に推し進めて地域一番店を目指した[6]

そうした増床戦略の最盛期には、千葉そごうが、モノレール駅と一体化した新店舗を開設すると共に旧店舗を業態転換させることで4館合計で売り場面積約90,000m2体制とした。また、広島そごう新館をNTTクレド基町ビルに開設するなど主力店周辺に店舗を出店して、立地地区の集客力を強化する戦略も展開していた[7]

また、そごう本体でも、御堂筋の西側にある南区鰻谷西之町に駐車場ビルを建設するなど大阪店のテコ入れを図られた。同時に、有楽町の東京店についても読売新聞との家賃引き下げ交渉をおこない、また、地下鉄有楽町駅と地下売り場を直結させるための交渉を行うなどテコ入れを図った[1]

さらに、アジアへの出店では日本人観光客を狙うのではなく、地元の消費者を狙う戦略で出店している。実際に、香港そごうでは約85%、台湾太平洋そごうでは約95%が地元客といわれ、地元密着の百貨店となった[7]

民事再生法適用など破綻処理へ[編集]

山田恭一社長は2000年(平成12年)7月12日、記者会見にて「再建計画を断念し、民事再生法の下で、再建を図ることになった」と発表した。その前夜の7月11日、全国のそごう店舗の代表者が東京に集まり、深夜まで対応策が協議された[8]。「そごう」本体と同じく、自主再建を考えていた各店舗であるが、結果的にいずれも自主再建を放棄し、民事再生法の申請を行うことで一致した[8]。約1兆8700億円という、小売業としては当時過去最大の負債を抱え事実上倒産した[9][10]。これは、土地の値上がりを見込んで、銀行融資を受け積極的に出店したことが災いした。

日本興業銀行と並ぶメインバンクであった日本長期信用銀行(現:新生銀行)が破綻した事で、リップルウッドに売却された。この際に不良債権に関して譲渡後3年間に2割以上の損失があると認定された場合には、融資時の金額までの損失を、預金保険機構が補填する仕組みとなる、瑕疵担保条項の適用という特約がつけられていた[10]。そのため、同行が債権放棄を受け入れることについては金融再生委員会預金保険機構が関連することになり、「そごうへの債権を放棄して一企業に税金を注ぎ込むとは何事だ」という批判が起きて、当社の再建策は政治問題化することになった[11]。当時の森内閣は、同年6月25日の総選挙直後で支持率が低迷したままという事もあり、その批判に耐えられないとして、同年7月11日に亀井静香自民党政調会長(当時)から、山田恭一そごう社長に電話で「そごう」の債権放棄を認めることが困難であることを伝えるとともに、それを前提とした自主再建案の断念を迫った[11]。そのため、そごうはそれまでの自主再建を断念した。そして、翌日12日には株式会社そごう(上場企業)とそごうグループの主要企業が民事再生法を申請した[11]。この申請は大企業として初となるものであった。

なお、全てが民事再生法の適用を受けたのではなく、その経営状態などの相違により、特別清算や自己破産となった法人もあるのは後述の通り[10]

結果的に、瑕疵担保条項適用分は、他の不良債権と合わせて国が負担することになったが、自主再建の場合に比べて、再建の流れが公になるというとのことでこの問題の決着がつくとされた。「そごう問題」や、「そごう債権問題」などと言われた。

1995年(平成7年)1月17日の阪神・淡路大震災により神戸店本館が半壊したことで打撃を受けたことや、平成不況による消費の低迷も、当社の破綻要因の一つとなった。

株式会社そごう(初代)として運営していた店舗は大阪店神戸店、東京店のみであった[10]。それ以外はすべて1店舗1社制とし、資本金は各地元からの出資や、そごう、千葉そごうを筆頭としたそごうグループ各社や、水島が個人で出資する場合など、資本関係は極めて複雑だった[10]

1997年当時の主要株主[12]

株式会社千葉そごう…6.70%
株式会社日本興業銀行…4.99%
そごう従業員持株会…3.44%
野村証券株式会社…2.76%
日本生命保険相互会社…2.65%
そごう共栄会…2.01%
東洋信託銀行株式会社…1.85%
全国共済農業協同組合連合会…1.60%
株式会社七博…1.40%
安田信託銀行株式会社(金融信託指定単口)…1.39%
第一生命保険相互会社…1.33%
また、グループ各社間で貸付金や債務保証も行われていたため[10]、経営破たん時の各社の負債総額はその運営する店舗の業績とは必ずしも一致しなかった。

主な負債額は下記の通りである。

そごう(上場していた本体) 約6891億円[10]
千葉そごう(千葉市) 約4054億円[10]
新千葉そごう(千葉市) 約953億円[10]
広島そごう(広島市) 約3282億円[10]
広島そごう新館(広島市) 約545億円[10]
横浜そごう(横浜市) 約1955億円[10]
柏そごう(柏市) 約1238億円[10]
奈良そごう(奈良市) 約1231億円[10]
大宮そごう(大宮市) 約774億円[10]
福山そごう(福山市) 約742億円[10]
小倉そごう(北九州市) 約673億円[10]
船橋そごう(船橋市) 約666億円[10]
徳島そごう(徳島市) 約662億円[10]
多摩そごう(多摩市) 約553億円(特別清算)[10]
八王子そごう(八王子市) 約503億円[10]
札幌そごう(札幌市) 約496億円[10]
豊田そごう(豊田市) 約496億円[10]
加古川そごう(加古川市) 約361億円[10]
そごう物産(東京都港区) 約398億円(自己破産)[10]
黒崎そごう(北九州市) 約321億円[10]
錦糸町そごう(東京都墨田区) 約303億円[10]
西神そごう(神戸市) 約240億円[10]
呉そごう(呉市) 約236億円[10]
木更津そごう(木更津市) 約230億円(自己破産)[10]
長野そごう(長野市) 約95億円(自己破産)[10]
なお、2000年(平成12年)10月25日には、民事再生法の適用を申請した22社のうち、9社の再建を断念し、残る13社は、十合を受け皿会社として合併して、1社に統合して再建を目指す再生計画案を東京地方裁判所に提出した[13]

経営破綻後のそごうは、西武百貨店元社長の和田繁明を特別顧問に招聘した。[10]のちの2003年(平成15年)にはミレニアムリテイリングによる経営統合を実現した。その後、2005年(平成17年)には、ミレニアムリテイリングをセブン&アイ・ホールディングスが買収した。

沿革[編集]

創業期[編集]

1830年天保元年) - 十合伊兵衛が、大坂坐摩神社(陶器神社)近くに古手屋(古着屋)「大和屋」を開業[1]
1876年明治9年) - 安堂寺橋通に移転。
1877年(明治10年) - 大阪心斎橋筋に大和屋を移転すると共に十合呉服店へ改称する[1]。これが後のそごう心斎橋本店(旧そごう大阪店)である。
1919年大正8年)12月20日 - 資本金10万円で株式会社十合呉服店設立[14]
1933年(昭和8年) 10月1日- 神戸支店、元町より三宮阪神ビル(現:神戸阪急)に移転、新築開店[1]
1935年(昭和10年) - 村野藤吾設計のモダニズム建築の傑作、大阪本店が御堂筋とともに竣工(2003年(平成15年)解体)。
1940年(昭和15年)4月 - 株式会社十合と商号変更[14]
1946年(昭和21年)7月 - 大阪本店がアメリカ進駐軍接収される[14]
1949年(昭和24年) - 大証一部上場
1952年(昭和27年)
1月 - 接収が解除される[14]。「大阪本店」を「大阪店」に、「神戸支店」を「神戸店」に店名変更。
6月 - 大阪店を再開店[14]

東京進出と多店舗展開[編集]

1957年(昭和32年)5月25日 - 東京地区初の店舗として、国鉄有楽町駅前の読売会館にそごう東京店(通称:有楽町そごう)を開店[4]
1958年(昭和33年) - 水島廣雄入社。副社長に就任(1962年社長就任)。
1961年(昭和36年) - 東証一部上場。
1967年(昭和42年)10月28日 - 株式会社千葉そごう設立[15]。株式の大半を水島廣雄が保有したため、株式会社そごうの連結対象外企業だった。
1969年(昭和44年) - 法人改組50周年を機に株式会社そごうに商号変更。株式会社横浜そごうを千葉と同じく連結対象外企業として設立。以後、全国各地に地域会社を設立し多店舗展開を行う。
1979年(昭和54年)10月6日 - 黒崎そごう北九州市)開店[16]により、百貨店業界初の北海道本州四国九州全4島への出店を達成。
1972年(昭和47年)2月15日 - 株式会社廣島そごう設立[17]
1983年(昭和58年)4月15日 - 東京ディズニーランドの開園と共に、アトラクション「イッツ・ア・スモールワールド」のスポンサーに就任。
1985年(昭和60年) - 毎正時に「イッツ・ア・スモールワールド」が演奏される「世界の人形時計」を横浜そごうに設置、運用開始。
1992年(平成4年) - 千葉そごう新築開店に伴い同店舗運営会社「株式会社新千葉そごう」を設立。福山そごうオープン。
1997年 - 福山市の「伏見町そごう」出店計画を解消。

民事再生法適用後[編集]

2000年(平成12年)
7月12日 - 株式会社そごうなどグループ22法人が民事再生法の適用を申請し事実上倒産負債総額1兆8,700億円。また同日、株式会社多摩そごうが特別清算開始を申請。半数以上の店舗を閉鎖。
7月13日 - 木更津そごう長野そごう自己破産申立。
7月26日 - 民事再生手続開始決定。元西武百貨店社長・和田繁明を特別顧問に迎える。
再生手続22社のうち、札幌そごう、船橋そごう(船橋ららぽーと内)、錦糸町そごう豊田そごう奈良そごう加古川そごう、福山そごう、小倉そごう、黒崎そごうは再生手続廃止決定を経て破産宣告。以上の店舗は順次閉店した。
そごう、大宮そごう、川口そごう、柏そごう、千葉そごう新千葉そごう八王子そごう横浜そごう、西神そごう、廣島そごう、廣島そごう新館、呉そごう、徳島そごうの計13社は再生計画認可となった。
12月25日 - 大阪店を閉店。この閉店自体は民事再生法の適用申請前(水島時代)に決定していたが、閉店の目的については和田をはじめ新経営陣が「撤退のためではなく、そごう発祥の地にふさわしい店舗として再生させるため」へ方針転換した。
2001年(平成13年)
1月31日 - 再生計画認可。
2月 - グループ各社の受け皿となる予定の休眠子会社「株式会社十合」が株式会社西武百貨店と包括的業務提携を締結。再生13社は100%減資し十合から全額出資を受けて同社の完全子会社となる。本社機能を東京都心から横浜市西区の横浜新都市ビル横浜スカイビルへ移転。
5月 - 西武百貨店からPOSシステムなど販売業務の情報技術供与を受け、「クラブ・オンメンバーズシステム」同等のポイントシステム「そごうミレニアムカード」サービスを開始。テレビCMが短期間スポット放映された。
2002年(平成14年)
2月 - 「十合」傘下の再生各社のうち、「株式会社横浜そごう」が旧上場会社の「株式会社そごう」を吸収合併し「株式会社そごう」に商号変更。本店所在地はこの時点では横浜市のままであったが、2005年の心斎橋本店完成時に旧そごうと同一の地に本店を移転した。
9月1日 - 「十合」傘下の再生各社の合併により、百貨店運営会社「株式会社そごう(旧株式会社横浜そごう)」へ一本化完了。
2003年(平成15年)
1月30日 - 東京地裁より再生手続終結決定。
3月 - 業務提携先である西武百貨店の再生計画に伴い、十合が西武百貨店の第三者割当増資を引受。「そごう」「西武百貨店」が「十合」傘下となり、事業会社として再編を進める。
4月 - 1935年(昭和10年)に建てられた大阪店を解体。
4月12日 - 東京ディズニーシーの劇場「ドックサイドステージ」のスポンサーに就任。
6月1日 - 「十合」「そごう」ならびに「西武百貨店」の3社はグループ経営への移行で正式合意。ミレニアムリテイリンググループを発足し、株式会社十合を株式会社ミレニアムリテイリングに商号変更。
12月12日 - 心斎橋本店起工式。
2005年(平成17年)
5月31日 - 大阪市心斎橋の旧そごう大阪店を改修し「心斎橋本店」として同年9月7日に開店することを発表。
6月13日 - 本社機能と本店を、株式会社横浜そごうの時代から維持していた横浜市から、旧株式会社そごうの本店だった大阪市に移転。
8月2日 - 9月7日に開店する「心斎橋本店」に、約1300台分の駐車場を確保することを明らかにした。このうち自前で確保した駐車場が274台分、他の1030台分はクリスタ長堀との契約により確保された。
9月7日 - 心斎橋本店が新装開店。開店記念のCM宮沢りえを起用。
10月12日 - 伊勢丹出身の池田昭喜が9月13日に顧問に就任。10月12日に株式会社そごう臨時株主総会にて取締役に選任。
12月26日 - ミレニアムリテイリングの和田繁明から買収防衛策のためにセブン&アイ・ホールディングスの傘下入りできないか鈴木敏文に打診。野村プリンシパル・ファイナンスがミレニアムの保有株式をセブン&アイに売却し、ミレニアムはセブン&アイの傘下入りすることを表明。なお当初、鈴木は対等合併の理念から和田に対し共同で代表取締役に就任するよう勧めたが、和田が固辞した経緯がある。

セブン&アイグループ入り後[編集]

2006年(平成18年)6月1日 - ミレニアムリテイリングがセブン&アイの完全子会社となる。
時期不明 - セブン&アイ傘下となってから、英字「SOGO」ロゴの表記を、西武百貨店の「SEIBU」と同一のものに変更(このロゴは主に公式サイトと広告で使用)。
2008年(平成20年)
4月15日 - 装置の老朽化及び東京ディズニーリゾートの「イッツ・ア・スモールワールド」「ドックサイドステージ」のスポンサー契約終了に伴い各店舗の正面口外壁に設置されていた、毎正時に「イッツ・ア・スモールワールド」が演奏される「世界の人形時計」の運用を、設置していた全店舗で終了。翌日より時計および鐘のみとなる。
9月 - 呉店をブランチ化し、広島店と外商・企画部門などを統合。
2009年(平成21年)
2009年度より、セブン&アイグループのプライベートブランドセブンプレミアム」を西武百貨店とともに全店へ順次導入開始。
8月1日 - 株式会社そごうが、株式会社ミレニアムリテイリングと株式会社西武百貨店を吸収合併し、株式会社そごう・西武に商号変更。店名は「そごう」「西武」を維持する(西武百貨店」という表記は使用せず)。株式会社ミレニアムリテイリング、株式会社西武百貨店は、法人としては解散した。
8月31日 - 心斎橋本店が閉店。土地・建物は、隣接する大丸J.フロント リテイリング)へ売却。改装の上、同年11月14日に大丸心斎橋店北館として開店。
2012年(平成24年)1月31日 - 八王子店が閉店[18]。八王子店の閉店により東京都内から「そごう」店舗が消滅。
2013年(平成25年)1月31日 - 呉店が閉店。
2016年(平成28年)9月 - 柏店が閉店[19]
2016年(平成28年)10月6日 - セブン&アイ・ホールディングスは、阪急阪神百貨店を傘下に置くエイチ・ツー・オー リテイリング(H2O)と業務資本提携することで合意し、H2Oが神戸店と西神店の事業を引き継ぐ。
2017年(平成29年)
8月3日 - H2Oグループが神戸店を同年10月1日付で買い取ることに合意したと発表。西神店は事業引き継ぎを断念し、当面はセブン&アイ・ホールディングス運営のままで残ることになった[20]
10月1日 - 神戸店を売却、H2Oグループが事業承継。
2019年10月5日 - 旧そごう神戸店が神戸阪急として営業開始[21]

店舗[編集]

2019年10月現在、国内には大宮店、川口店、千葉店、横浜店、西神店、広島店、徳島店の7店舗のみである。大宮店、千葉店、横浜店、広島店と閉店した神戸店はセブン&アイ・ホールディングス「基幹店」の位置づけ(注:「旗艦店」ではない)となっている[22]。2020年以降は広島店を除き首都圏の店舗のみとなり、2021年以降は基幹4店舗のみの運営となる。

経営破綻時、東京・大阪・神戸の各店(現在は閉店)は、千葉そごう・興銀が大株主である上場会社の「株式会社そごう」の直営店で、それ以外は水島廣雄が過半数株主の「千葉そごう(資本金1億円)」と、同社100%出資で完全子会社の「柏そごう」「廣島そごう」の出資によって、店舗ごとに子会社が設立されて経営が行われた。前述の3社と各地の店舗運営子会社の間で株式持ち合いが行われ、メインバンクであるかつての長銀興銀を筆頭に、地方銀行からも出資会社の債務保証を取り付けて多額の融資を受けていた。この複雑な資本関係のため、経営破綻するまで、店舗ごとの財務状態は明らかにされなかった。報道では「そごうグループXX社」と称されていた。後項も参照のこと。

現在は全店「そごう○○店」が正式名称であるが、経営破綻以前は、直営3店舗はそれぞれ「有楽町そごう」(東京店)、「心斎橋そごう」(大阪店)、「神戸三ノ宮そごう」(神戸店)という通称があり、子会社運営の店舗は「○○そごう」が正式な店名であった。一般には経営破綻前の名残から現在も通称として使われている(西武も同様)。

東日本地域のほとんどの店舗は再開発組合や鉄道・デベロッパー会社など他の事業体によって竣工されたテナントビルに入居する形式を取り、1980年代以降1997年(平成9年)の錦糸町そごう(2000年(平成12年)閉店)まで立て続けに出店を行っていた。そごうのテナント区画外にある店舗・飲食店ではミレニアムカードや「全国百貨店共通商品券」などが使用できない。

大宮店
1981年(昭和56年)「株式会社大宮そごう」設立。1987年(昭和62年)[7]3月27日開店。 川口店
1983年(昭和58年)9月6日「株式会社川口そごう」設立。1991年10月16日開店。
2019年10月10日に、2021年2月末で閉店することが発表された。 千葉店
千葉県千葉市中央区富士見2-3-1[1] 塚本大千葉ビル[1] 
別会社方式によるそごうグループ多店舗化1号店[7]。開業2年目で地域一番店となり、3年目に早くも黒字化した[7]。以降出店の際は全て千葉そごうが出資する形を取っていた[7]
1993年4月27日に新店舗開設に伴い 若者向けやスポーツ用品の専門館に業態転換し、4館合計で売り場面積約90,000m2となった[23][7]。(店舗名「Bee-One」)経営破綻後、閉店。現在は複合オフィスビル。
新店:1992年「株式会社新千葉そごう」設立。1993年4月27日開店[23]
千葉県千葉市中央区新町1000 センシティビルディング 京成千葉駅直結 売場面積69,648m2
売上高は、そごう各店の中で第2位。千葉そごう美術館を併設。
旧店舗跡にはヨドバシカメラやかねたや家具などが入居した[24] 横浜店
1969年(昭和44年)「株式会社横浜そごう」設立。1985年(昭和60年)9月30日開店[6]
開店資金約590億円を投資した百貨店史上類をみない超弩級の巨艦百貨店。開店初年度売上額世界一のデパートであり、現在も記録は破られていない。そごう美術館を併設。 西神店
1990年「株式会社西神そごう」設立。1990年10月10日開店[25]
正確には神戸店の分店の扱いで、「そごう神戸店西神館」が正式名称であった[26]。当初は2017年10月1日付で神戸店と同時に西神店もH2Oリテイリングに引き継がれる予定だったが、建物所有者である神戸市が賃料引き下げに応じたため、西神店に関しては事業引継ぎ対象からは除外された。このため2017年(平成29年)10月1日からは「そごう西神店」と単独店舗扱いになったが、2019年10月10日に、2020年で閉店することが発表された。
ダイエー西神店と2核1モール。
直下を地下鉄が走っているため、多くの百貨店で見られる「デパ地下」が存在せず、食料品売り場は1階にある。 広島店
広島県広島市中区基町6-27 広島センタービル(広島バスセンター
新館:1990年(平成2年)会社設立「広島そごう新館」。1994年4月22日開店。
広島県広島市中区基町6-78 広島電鉄:紙屋町西 NTTクレド基町ビル[7]
広島電鉄紙屋町西電停前 売場面積57,839m2 徳島店
1979年(昭和54年)「徳島そごう」設立。1983年(昭和58年)10月1日開店[28]
内町小学校跡地を含む約2haに建設された再開発ビルの核店舗として出店した[29]
セブン&アイ・ホールディングスの完全子会社となったのに伴い、従来四国には店舗を持たなかったセブン&アイグループが店舗を持つこととなった。
2019年10月10日に、2020年で閉店することが発表された。これにより、徳島県は山形県に次いで、百貨店がない県になる予定である。 神戸店
1933年(昭和8年)10月1日開業[1][36]。1969年(昭和44年)増築開店(株式会社設立50周年記念事業)。
本館は三宮阪神ビル+三宮さくらビル+自社ビルを束ねて外装工事でひとつのビルに、新館はケイエスビル+S・ヨシマツビル。セブン&アイ・ホールディングス「基幹店」であった。
2016年(平成28年)10月6日、セブン&アイ・ホールディングスとエイチ・ツー・オー(H2O)リテイリングは業務資本提携することで合意し、H2Oグループが神戸店の事業を2017年(平成29年)10月1日付で引き継いだ。2019年(令和元年)9月30日付で閉店。10月5日神戸阪急として再オープン。

そごう・西武(セブン&アイ)移行前[編集]

大阪店(心斎橋そごう)
1935年(昭和10年)5月25日開店、2000年(平成12年)12月25日閉店。
建物は解体。跡地に心斎橋本店を再建し2005年(平成17年)9月7日に開店するも、2009年(平成21年)8月31日に閉店。 そごうホップ(大阪市阿倍野区):売り場面積4,500m2[6]。阿倍野そごう・広島そごう共同出資→あべのベルタ[6]の完成に伴いDIY・生活雑貨・文具などの生活雑貨の専門店として開店。2000年(平成12年)12月閉鎖。
そごう難波店:1963年(昭和38年)閉鎖。
そごう神戸店岡山分店:1975年(昭和50年)、岡山ターミナルホテル(現・ホテルグランヴィア岡山)内に開店。ホテル改築により閉鎖。
その他、昭和40年代まで国鉄大阪駅前高架下に「そごう食堂」を営業しており、当時発行していた自社商品券「そごうお買い物クーポン」裏面に利用可能の趣旨が記載されていた(のちの新梅田食道街)。
東京店(有楽町そごう)
1957年(昭和32年)5月25日開店[4]、2000年(平成12年)9月24日閉店[37]
売り上げの45%を外商が占める外商比率の高い店舗であった[30]
店舗跡には2001年(平成13年)6月14日、ビックカメラ有楽町店が開店[38]札幌そごう
1973年(昭和48年)11月2日会社設立[1]。1978年(昭和53年)9月1日開店[1][39][40]。2000年(平成12年)12月25日閉店[40][41]。食品売り場のみ2000年(平成12年)12月31日まで営業を続けた[42]
「札幌ターミナルビル」の核店舗として出店した[40]。店舗跡には2001年(平成13年)7月26日にビックカメラ札幌店が開店[43] 錦糸町そごう
1991年(平成3年)会社設立、1997年(平成9年)10月22日開店。2000年(平成12年)12月25日 閉店[41]
錦糸町駅北口の再開発事業に参画して出店した店舗で、入居する商業施設ビルの40%を約240億円で取得して残りを日本生命から賃借する形で出店した[45]。出店に当たっては店舗の不動産を取得して出店しても採算に合わないと一度却下したものの、先述の条件に切り替えて1988年(昭和63年)1月に出店を決定している[45]
しかし業績悪化に伴って金融機関が出店資金の貸出を渋ったため、1993年(平成5年)1月には再開発負担金を滞納し、阪神大震災直後の1995年(平成7年)2月に出店辞退を通告するに至った[45]。この通告に対して再開発組合が差し押さえをすると通告したため、再び出店へと方針を変更し、銀行も差し押さえの影響が読み切れないとして融資を行うこととなったため、出店が実現することになった[45]。ただし、この出店資金の融資については水島広雄会長が個人保証を付けることが条件となって融資された[45]
店舗跡には2002年(平成14年)3月29日に「アルカキット錦糸町」が開店した[44] 多摩そごう
1988年(昭和63年)会社設立、1989年(平成元年)10月20日開店。2000年(平成12年)7月に特別清算申請[46]、同2000年9月17日閉店[47]
多摩ニュータウンの人口が30万人になることを前提とした出店であったが、20万人を切る水準にしかならなかったため赤字が続いた[46]
店舗跡は2000年(平成12年)11月15日に三越と家具販売大手の大塚家具が出店したが[48]、大塚家具は2010年(平成22年)末に閉店した[49]。大塚家具の撤退した跡地にユニクロ丸善などを入居させてショッピングセンター「ココリア多摩センター」として[49]2011年(平成23年)4月23日に新装開店することになった[50] 柚木そごう 
1990年(平成2年)9月28日会社設立、1992年(平成4年)6月7日開店[31]。1994年(平成6年)10月3日閉店[31]
忠実屋フランツとともに開店するがわずか2年余りで撤退、忠実屋もダイエー買収後の1995年に閉店。
1998年(平成10年)2月27日にイトーヨーカドー南大沢店が新たな核店舗として開業した[51] 船橋そごう
1978年会社設立、1981年(昭和56年)4月2日開店。2000年(平成12年)12月閉店。
ワンフロア15,000m2、4階建の低層という従来にないフロア構成で、新しい百貨店スタイルを提案した。
1988年(昭和63年)4月に浦安シェラトンホテルにブライダルギフトショップを開設したのを機に、同年に東京ベイヒルトンホテル、1989年(平成元年)に幕張プリンスホテルに、1991年(平成3年)にはホテルスプリングスに出店するなど、複数のホテルでブライダルギフトショップを展開していた[30]
1997年(平成9年)9月 新業態専門フロア「ベイ・プラネット」オープン。トイザらスなど人気ショップや話題の専門店を導入した。
2000年4月には収益増加を目的に、1 - 2階で引き続き営業していた百貨店フロアも全てテナント化。以後「そごう」の名前を冠しつつも、閉店までそごうは実質施設運営の役割に集中した[52]
店舗跡は2001年(平成13年)9月21日にららぽーとウエストとして新装開店した[53] 木更津そごう(サカモトそごう)
旧店舗:千葉県木更津市中央1丁目3番8号[1] 売場面積10,066m2。1978年(昭和53年)10月1日開店[1]-1988年(昭和63年)新店舗開店に伴い閉鎖。建物は解体。跡地にフェリズ木更津(マンション)を開業。
新店舗:千葉県木更津市富士見1-2-1 木更津駅西口再開発ビル(38,400m2)の核店舗として出店していた[6]。アインスビル。19,349m2。1988年(昭和63年)開店。「木更津そごう」に商号変更。2000年(平成12年)7月13日に自己破産申請し、閉店[54]
閉店後の2001年(平成13年)12月22日にビルを所有していた第3セクターの木更津都市開発が約74.7億円の負債を抱えて千葉地方裁判所に破産申請して倒産した[55]ため、2003年(平成15年)に木更津市が購入[56] 茂原そごう
1989年(平成元年)会社設立、1992年(平成4年)3月7日開店。2000年(平成12年)2月29日閉店[57]
南総通運株式会社がテナントビル「南総サンヴェルプラザ」として運営。 長野そごう(丸光そごう)
1982年(昭和57年) 地方百貨店「丸光」(1957年(昭和32年)開店)と資本提携により「丸光そごう」設立。
1983年(昭和58年)6月30日開店、1987年(昭和62年)5月リニューアル時に「長野そごう」へ社名変更。2000年(平成12年)7月13日自己破産を申請し閉店[54]
元から店舗の営業不振による2000年11月限りでの閉鎖が発表されており、自己破産により閉店が早まった形となった。SBC信越放送へ売却、「TOiGO」が建設された。 豊田そごう 
1986年(昭和61年)8月28日会社設立、トヨタ自動車7%出資。1988年(昭和63年)[7]10月8日開店、2000年(平成12年)12月25日閉店[41]
店舗跡には松坂屋が出店することになり[58]、2001年(平成13年)10月に松坂屋豊田店が開店[59] 奈良そごう  
1984年(昭和59年)11月21日会社設立。1989年(平成元年)10月2日開店[45]、2000年(平成12年)12月25日閉店[41]。食品売り場のみ2000年(平成12年)12月31日まで営業を続けた[41]
店祖十合伊兵衛生誕の地に念願の出店との見方が多かったが、関西への出店が遅れたことの挽回策という側面も強かったとされる[45]
重装備店舗。埋蔵文化財長屋王邸宅跡に建設され、開業前の発掘調査で5万点の木簡が出土した[7]地元住民や研究者の反対を押し切って貴重な遺跡を破壊したため、そごうの経営破たんについて、奈良では長屋王の祟りとささやく声もあった。
店舗跡には2003年(平成15年)7月10日にイトーヨーカドー奈良店が開店した[60]。しかし、イトーヨーカドーも2017年に閉店し、2018年4月からは複合商業施設ミ・ナーラとなっている。 加古川そごう 
1988年(昭和63年)会社設立。1989年(平成元年)9月[61]15日開店、2000年(平成12年)12月25日閉店[41]。食品売り場のみ2000年(平成12年)12月31日まで営業を続けた[41]
加古川市がビルを購入、第三セクターが管理。2001年(平成13年)3月30日にヤマトヤシキ加古川店が開店[62]福山そごう 
1988年(昭和63年)会社設立。1992年(平成4年)4月[63]29日開店。2000年(平成12年)12月25日閉店[41]。なお、支店である尾道駅前店も同日閉店している。
福山駅から西へ400mの山陽染工の工場跡地へ出店した[63]
2003年(平成15年)4月25日に天満屋がロッツを出店した[64]が2013年(平成25年)4月24日閉店[65]。2013年(平成25年)9月12日に大和ハウスグループの大和情報サービスが管理・運営する「リム・ふくやま」が開業した[66] コトデンそごう
1991年(平成3年)11月に高松琴平電気鉄道と合弁会社設立[67]。1997年(平成9年)4月23日開店[68]-2001年(平成13年)1月22日 民事再生法適用申請[69] 4月15日閉店[68]
高松琴平電気鉄道グループが60%、そごう本体と徳島そごう、広島そごうのそごうグループが40%という出資比率となっていたため、他のそごうグループ各店と同時には破綻しなかった[70]
開業時の目標であった売上高300億円を大きく下回って毎期20億円前後の赤字が続いていたところに、そごうグループの再生法適用申請で「そごう」ブランドの信用が低落した影響などで、2000年(平成12年)7月以降の売上高が前年同月比5%から14%減と落ち込んだことから2001年(平成13年)1月22日に民事再生法適用を申請して破たんした[69]。2000年(平成12年)2月期の売上高は約227億円で経常損益は約26.43億円の赤字だった[69]
同社への債務保証が影響し[71]、親会社である高松琴平電気鉄道も同年12月7日に民事再生法の適用を申請(連鎖倒産)した[72]
負債総額は約250.7億円で[73]、2001年(平成13年)11月16日に民事再生の手続きが終わっていたものの、そごう本体を相手に未払い債権の返済を求めて提訴したため、2003年(平成15年)夏に清算を完了している[74]
天満屋が設立した子会社による高松天満屋が2001年(平成13年)9月1日に開店したが[75]、2014年(平成26年)3月31日に閉店している[76]。ビルには2015年10月、専門店を集めた「瓦町FLAG」がオープンした。
いよてつそごう
1969年(昭和44年)9月[6]1日伊予鉄道と合弁会社設立。1971年(昭和46年)7月5日開店[1]
そごう破綻後、2000年(平成12年)12月提携解消、2001年(平成13年)6月1日に「伊予鉄百貨店」と改称の上グループを離脱[77]。2001年(平成13年)10月10日の[78]増床オープンに合わせて「伊予鉄高島屋」に店名変更し[79]高島屋との資本提携を行い、2002年(平成14年)3月1日に社名も「株式会社伊予鉄高島屋」とした[80]。旧そごうグループで破綻を免れた唯一の企業。 小倉そごう  
1988年(昭和63年)会社設立。1993年(平成5年)10月10日開店[81]-2000年(平成12年)12月25日閉店[41]
当初は小倉東映の跡地への出店構想であったが、駅前へ出店先を変更している[7]。九州第1号店となるはずだったが、諸般の事情により開店が遅れた。初期投資等515億円の負債を抱え、毎月億単位の借入金返済に追われていた。閉鎖された店舗で最も再生が遅れた。
2002年(平成14年)3月10日に地上12階・地下2階建てのうち地下1階から地上4階の約13,000m2を利用して小倉玉屋の仮店舗が開業したが[82]、2002年(平成14年)12月25日に閉店して廃業した[83]
2004年(平成16年)2月10日に小倉伊勢丹と専門店街「アイム」が同時に開業したが[84]、売上高が260億円を大きく下回って2007年(平成19年)3月期で約170億円に留まって約29億円の債務超過に陥ったため目標の2008年(平成20年)3月25日に閉店した[85]
2008年(平成20年)4月1日に「コレット井筒屋」が開業し[86]、改装後の2009年(平成21年)3月11日から「コレット」と改称して営業している[87]
2019年(平成31年)2月 井筒屋の経営不振により閉店予定[88] 黒崎そごう 
1977年(昭和52年)10月21日会社設立。1979年(昭和54年)10月6日開店[90]-2000年(平成12年)12月25日閉店[41]
2001年(平成13年)10月3日、黒崎井筒屋が開店。
2019年(平成31年)5月、井筒屋の経営不振により閉店予定[88]だったが、7月迄現状営業し、8月からは縮小・テナント誘致して営業開始予定。
そごうでは初めて店舗内に、川を流れる水と緑のある飲食店街を導入した店舗であった[7]

世界展開[編集]

経営破綻に至るまでは積極的に展開を行い、中国香港台湾タイマレーシアシンガポールインドネシアイギリススペインに 合弁会社、現地法人を設立していた。が、再建中に資本は全て引き上げ撤退した。現在も「そごう」の商標を用いているものもあるが、これはライセンス供与フランチャイズの関係。

北京荘勝そごう中国大陸
北京市西城区宣武門外大街8号 地下鉄4号線菜市口駅 1998年(平成10年)6月[46]24日開店。84,000m2
1998年(平成10年)4月3日設立。荘勝百貨(ジューンフィールド・デパート)グループ
そごう・西武」との関係は商標貸与のみ[91]。中国本土で「そごう」を名乗れるのは当グループ店のみ。
武漢荘勝そごう 湖北省武漢市?口区解放大道374号 33,700m2。2000年(平成12年)12月24日開店。 香港そごう香港
香港島銅鑼湾(コーズウェイベイ)1985年(昭和60年)5月31日開店[6]。売り場面積33,000m2[7]
1983年(昭和58年)9月設立。2001年(平成13年)1月 香港企業利福國際グループ (Lifestyle International Holdings)に売却したため、「そごう・西武」との関係は商標貸与のみ[91]
九龍尖沙咀(チムサーチョイ)支店 2005年9月30日開店。2014年2月閉店。[92] 同年11月、近くにあるシェラトンホテルのショッピングモールに再開。[93][94]
遠東SOGO台湾
1986年(昭和61年)3月会社設立。当初はそごうが出資していたが、2002年(平成14年)以降は台湾企業遠東グループの100%出資会社[95]。副会長は日本人・井上哲氏。「そごう・西武」との関係は商標貸与のみ。
本社 台北忠孝館 台北市大安区忠孝東路四段45号 1987年(昭和62年)11月11日開店[6]。同店の開店により「ダブルそごう計画(20店舗構想)」が達成された。初日に33万人の来店客を集めた[6]。地上13階建て総面積53,000m2[6]
台北市内の他、中?(1998年(平成10年)9月開業[46])、新竹高雄(1996年(平成8年)9月開業[46])に支店がある。 2017年9月1日、店舗名は遠東そごうに変更された[96]
廣三そごう台湾
台中市西区台中港路一段299号 36,000m2
1992年(平成4年)3月12日 台湾 廣三建設との合弁で「廣三崇光百貨股?有限公司」設立。
1995年(平成7年)11月11日 本館開業。1999年(平成11年)12月6日 2館開業 21,000m2
1998年(平成10年) 債務超過や違法な金銭授受の疑いで廣三建設が財務危機に陥り、曾正仁会長が逃亡。
2003年(平成15年) 2館閉店。ビルを活性化するために「廣三崇光國際開發股?有限公司」が設立されたが、5年間に所有者は何度も交代し、スラム化していた。
2007年(平成19年) 國泰人壽(キャセイ生命)が2館を13億NT$で買収。それぞれ商業ビルとオフィスビルとしてリニューアルし、再生された。
「そごう・西武」との関係は商標貸与のみ。会長は日本人・原島榮一氏、前会長・辻裕氏。[97] 12階には紀伊國屋書店が入居。 そごうインドネシア SOGO Department Store Indonesia
プラザ・インドネシア店ジャカルタ) Plaza Indonesia 売り場面積16,000m2[7]
1990年(平成2年)>3月1日開店[98]。インドネシア1号店。2006年(平成18年)2月 プラザの改築の際、閉店。スーパーマーケット部門のみ残し「ザ・フード・ホール・グルメ The Food Hall Gourmet」と改称して営業している。[99] クラパ・ガディン・モール店(ジャカルタ) Kelapa Gading Mall
1995年(平成7年)1月開店。11,000m2。華僑系高級住宅街に立地。 プラザ・スナヤン店(ジャカルタ)  Plaza Senayan
1999年(平成11年)10月29日開店。スナヤンはプラザインドネシアと並ぶ高級モール。 ポンドキンダ・モール店(ジャカルタ)  Pondok Indah Mall
エンポリウム・プルイット(ジャカルタ) Emporium Pluit Mall
セントラル・パーク・モール店(ジャカルタ) Central Park Mall
コタ・カサブランカ・モール店(ジャカルタ) Kota Kasablanka Mal
パリス・ファン・ジャワ店バンドン) Paris van Java
サン・プラザ店メダン) Sun Plaza
プラザ・タンジュンガン店スラバヤ) Plaza Tunjungan
ギャラクシー・モール店(スラバヤ) Galaxy Mall
バリ・コレクション店(バリ・ヌサドゥア) Bali collection
ディスカバリー・モール店(バリ・クタ) Discovery Shopping Mall(centro)
そごうKL SOGO (KL) Department Store Sdn Bhd
そごうクアラルンプール SOGO Kuala Lumpur
1994年(平成6年)1月[7]18日、マレーシア初の高層アパートだったスレイマン・コート跡地に開店。[100]クアラルンプールの庶民的ショッピング・エリア、トゥアンク・アブドゥル・ラーマン通り界隈に立地。そごうグループを離れた後も商標はそのままで存続[91]。一般庶民向けのファミリー・デパート。かつて入居していた紀伊國屋書店はスリア KLCCに移転している。 ペナンそごう[7]ペナン州) Penan SOGO
1989年(平成元年)[7]9月「ガマ・デパート」 Gama Supermarket & Departmental Store 開店。地下2階地上8階 売り場面積11,000m2[7]
1989年(平成元年)12月 広島そごうがガマを約3940万RMで買収。[101] そごうグループを離れたガマ・デパートは存続している。かつて入居していた紀伊國屋書店は撤退。 そごうシンガポール SOGO Department Stores (S) Pte Ltd
ラッフルズ・シティー店 Raffles City 
1986年(昭和61年)10月25日開店[103]。2000年(平成12年)9月30日閉店[104]。売り場面積12,500m2[7]
撤退後はイギリス資本の ロビンソンズRobinsons(アメリカ系ロビンソン百貨店とは別)、マークス&スペンサーMarks & Spencerが入居。 タンピネス店 Tampines Store
パラゴン by そごう Paragon by SOGO
そごうグループを離れた後モール・グループが運営。グッチダンヒルサルヴァトーレ・フェラガモなどの高級ブランド中心の高級ショッピング・モール。 そごうタイランド SOGO(Thailand)Co., Ltd.
バンコク ラーチャダームリ通り、ラーチャプラソング交差点交差点に庶民派の「アマリンそごう」と高級志向の「エラワンそごう」の2店が隣り合って並んでいた[7]。どちらも大成建設が建てたビル[105]、どちらもそごうタイランドとアマリンが出資しながら、それぞれ独立した会社による運営だった。そごう本体の破綻の都合で撤退。合弁パートナーが撤退する場合、タイ側に株式を譲渡することがタイの法律で定められている[106]ため、2店ともアマリンが引き継いでショッピング・センターを運営することになった。 アマリンそごう Amarin SOGO Co., Ltd
1984年(昭和59年)[7]12月1日開店。アマリン・タワー Amarin Tower 1-4階。そごう海外1号店[7]。売り場面積12,000m2[7]
撤退後、「アマリン・プラザ Amarin Plaza として運営されている。タワー9階にはJCBプラザ、15階には盤谷日本人商工会議所が入居する他、ホテル、スパなどがある。 エラワンそごう Erawan SOGO Co., Ltd
1990年(平成2年)12月4日開店。グランド・ハイアット・エラワン・バンコクビル内。売り場面積13,435m2[7]
撤退後、2004年(平成16年)11月24日から高級ショッピングセンター「エラワン・バンコク Erawan Bangkok として運営されている。「バーバリー」の旗艦店、タイ初出店の「コーチ」などが入居。[107] ロンドンそごう SOGO(London) Ltd
ヨーロッパ1号店[7]。中心地のピカデリーサーカスに出店していたが、2000年(平成12年)初めには土地・建物を売却して撤退した[46]バルセロナそごう SOGO Espana S.A.
当時スペイン一高い高さ153mの「ザ・ホテル・アーツ・バルセロナ」も併設して運営していたが[7]、売却して撤退した[46] ローマそごう
ミラノ
ビバリーヒルズのロデオドライブにショッピングセンターも出店していたが、2.25億ドルで買収したものを1.3億ドルで売却して撤退した[46]

構想はあったが出店を断念した店舗[編集]

北海道地方

札幌そごう新館[46]
東北地方

仙台そごう - 水島そごう時代[46]およびミレニアムグループの新店舗として仙台にそごうの出店計画が数度あったが、その後断念。
郡山そごう - 1983年(昭和58年)1月に国鉄郡山駅前西口市街地再開発ビルの核テナントとして出店が決まり[108]、1984年(昭和59年)1月に郡山市が建設申請を提出して[109]同年10月に申請が受理されていたが[110]、1985年(昭和60年)4月に百貨店を核とする再開発計画に慎重派だった青木久市長が当選した[111]ため、1986年(昭和61年)1月出店断念[112]。予定地には2001年(平成13年)3月に郡山ビッグアイが落成[113]
北上そごう - ツインモールプラザの核テナントとして川徳と出店を競り合ったが、バブル崩壊により断念。ダックビブレ(現在はさくら野百貨店)が最終的に進出した。
関東地方

土浦そごう - JR土浦駅前の再開発ビルウララの核テナントとして出店予定だったが、1985年(昭和60年)12月に断念[114][115]。その後イトーヨーカドーが出店[114][115]、同店撤退後は土浦市役所となった。
成田そごう[46] - 京成公津の杜駅前・ユアエルム成田の核テナントとして出店予定だったが、経営不振により出店断念。その後イトーヨーカドーが出店。
千葉ニュータウンそごう ‐ 1996年(平成8年)に印西市に出店予定だったが、ジャスコ(現:イオンイオンモール千葉ニュータウン内)が出店したため断念。
八千代そごう[46] - 東葉高速鉄道開通に伴い、沿線に出店を計画するも、地元の反対、成田・幕張・千葉そごうとの兼ね合いなどの諸般の事情で頓挫。イトーヨーカドー(フルルガーデン八千代)やイオン(イオンモール八千代緑が丘)が出店している。
JR東日本幕張そごう
池袋そごう - 現在のサンシャインシティへの出店計画[63]。一度は出店が決定したが、池袋駅から地下道を通す条件がクリアできず出店断念[63]三越直営による「サンシャインシティ・アルタ」などが入居している。
新宿そごう - 現在のタカシマヤタイムズスクエアの位置に出店計画があったが[46]賃料が坪3万円を超える見込みとなったことから採算が合わないとして出店を断念した[63]
JR東日本立川そごう[46] - JR東日本との共同計画。1993年(平成5年)12月出店発表(共同子会社設立合意)。当初計画1997年(平成9年)開店予定。JR立川駅南口の商業ビルの核店舗として入居予定だったが、1996年(平成8年)6月出店断念[46]。1999年(平成11年)に阪急百貨店との折半出資によるグランデュオが開業。
橋本そごう - 現在のイオン橋本店(相模原市)近辺に位置する。JR橋本駅前市街地再開発の一環で、賃料坪単価8,000円以上と競合した近鉄百貨店の2倍の提示額で、地元の京王百貨店を含む競合を退けて1989年(平成元年)10月に出店が決定した[45]。1993年(平成5年)8月に出店凍結し、その3年後に出店契約を解約して正式に出店断念[45]
横浜そごう新館(新・横浜スカイビル[46]) - 1992年(平成4年)6月出店凍結、自然消滅。1996年(平成8年)9月の竣工により丸井横浜東口店(現・マルイシティ横浜)が出店。
港北ニュータウンそごう[46] - タウンセンター第2地区の開発計画の一環。コンペには他に横浜高島屋、西武、東急の3百貨店が参加していた。当初計画では建物面積約50,000m2、事業費約500億円。1995年(平成7年)開店予定だったが、その後出店を断念。
北千住そごう - 北千住駅の再開発に向けて1988年(昭和63年)出店を発表したが断念し、2004年(平成16年)に丸井が開業した。
溝口そごう-JR武蔵溝ノ口・東急溝の口駅前の川崎市主導の再開発ビルのコンペに参加したが、ヤング・ファミリー層から支持を受けた丸井に決定した。
中部地方

JR名古屋そごう - JR東海と合弁で松坂屋とともに出店候補に挙がったが最終的にはジェイアール名古屋タカシマヤが出店。
清水そごう - 狐ヶ崎ヤングランド跡地に1995年(平成7年)の開業を目指すも撤回。現在はイオン清水店。
駿東そごう - (駿東郡清水町)バブル期に大東紡績三島工場跡地に東部地区最大の百貨店を計画。バブル崩壊により出店断念。その後ユニーとキミサワが出店を表明するも実現せず最終的には1997年(平成9年)にHome Assistを核とするサントムーン柿田川が開業。2008年にサントムーンアネックス(エディオン)がオープンした。
近畿地方

茨木そごう - JR茨木駅にほど近い日本たばこ産業の工場跡地に売り場面積85,000m2の百貨店の出店を計画して1991年(平成3年)に出店契約を結んでいたが、経営不振から計画が中止となった[45]。出店予定地にはマイカル茨木(現:イオンモール茨木)が建設され2001年(平成13年)より営業している。開店していた場合は当時最大規模となる郊外型百貨店だった。
阿倍野そごう[46] - 現在のあべのキューズタウン(2011年(平成23年)4月26日開業:核テナントはイトーヨーカドーあべの店)の場所に出店を予定していた。
中百舌鳥そごう - 南海高野線中百舌鳥駅前再開発への出店計画で西武百貨店と激しい争奪戦を繰り広げたが両社ともに経営悪化で進出を断念した[45]。1992年(平成4年)10月に出店が決定したが[63]、1993年(平成5年)7月出店断念。
湊町そごう - 湊町駅前の再開発計画の一環。駅ビルの商業層への出店計画だったが、1992年(平成4年)6月に出店を凍結。
りんくうタウンそごう - 関西国際空港の対岸部の埋立地「りんくうタウン」に出店を計画[46]。1989年(平成元年)出店構想発表。1990年(平成2年)競合していた三菱地所近鉄グループと共同分譲を締結した。
中国地方

伏見町そごう - 福山駅前の伏見町市街地再開発計画の核店舗として1990年(平成2年)11月に出店を決定した[63]。他社の進出を阻止するための出店計画との見方もされていた[63]
防府そごう - 防府駅北東に位置する街区の再開発計画の一環。防府商工会議所が再開発会社「防府商業近代化株式会社」を設立し、防府市も全面協力という計画だった。当初計画では、建物は面積約20,000m2、初年度売上目標は百数十億円で、1984年(昭和59年)開業予定だったが、その後出店を断念した。同街区は現在、再開発によりマンションや中小規模の商店、防府市立図書館などが入居する複合施設「ルルサス防府」となっている。
宇部そごう[46] - 宇部市役所前の新天町一丁目西地区市街地再開発計画の一環。当初構想は、地上14階・地下2階のオフィスタワー、地上8階・地下2階の商業棟(約30,000m2)、地上9階・地下1階の駐車場ビルからなる複合施設を建設するというもの。1988年(昭和63年)に出店表明、1991年(平成3年)に基本構想が宇部市より発表され、1993年(平成5年)の開業を目指していたが、既存の百貨店や地元商店街の反対を受け徐々に開発計画が縮小され、1994年5月に出店断念。
九州地方

福岡そごう - 事前のコンペではそごうの出店がほぼ決定していたが、他地域とのバランス面や政治的な動き等により、三越福岡三越)となった。
長崎そごう - 長崎県と国が造成していた長崎港元船地区埋立地への出店計画。1993年(平成5年)に出店を表明したものの、地元商店街からの激しい反対運動を受け、1994年に出店断念。
鹿児島そごう - 関係者の話によれば1980年代後半から1992年(平成4年)頃に西鹿児島駅(現・鹿児島中央駅)前の一番街アーケード一帯のすべての街区をまるごと潰して再開発する構想があったようだが1993年(平成5年)以降は交渉が進展せず自然消滅した。順調に実現していれば、錦糸町そごう(現在のアルカキット錦糸町)と同時に開店する見込みだった。
海外

シドニーそごう - 熊谷組と共同で買収した土地にオフィスを併設する超高層ビルを建設し、その中に出店する構想であった[46]。現地ボンド・コーポレーションから買収したシドニーの中心部「パークプラザ」に出店を計画。1998年(平成10年)11月出店断念。
イスタンブールそごう - イスタンブール市街のタクシム広場周辺に出店を計画。1991年(平成3年)に出店を発表したが、その後断念。

プロ野球球団の応援セール[編集]

有楽町そごうが閉店するまでは読売ジャイアンツの応援セールを行っていたが、これは入居する建物(読売会館)の建物所有者が読売グループであることによる。東京進出に際して建物がなかなか見つからずにいたところに、読売グループが建物を快く提供したため、これに対する恩返しの意味もあったとされる。そごうの経営再建に伴い、応援セールの権利は三越が引き継ぐことになった。

なお、西武百貨店全店(旧ロビンソン百貨店を含む)と同様、埼玉西武ライオンズの応援セールを行っている。ただし、セールを行う店舗は、ライオンズの地元埼玉県にある大宮川口の2店舗が基本的に対象である。かつては埼玉県を商圏に含む店舗も対象であり、(2015年まで)・八王子(2010年まで)もセール対象だった。2018年は大宮・川口に加えて横浜千葉西神徳島の各店が対象となった。しかし横浜は2019年の西武優勝セールは実施せず横浜DeNAベイスターズの応援セールに回った。

広島そごう(現:そごう広島店)は、広島東洋カープが優勝した際に優勝セールを行っている。2008年まで同球団の本拠地だった旧広島市民球場は徒歩圏内にあった。

そごう神戸店では阪急阪神東宝グループへの移管以前より、三宮阪神ビルに入居している関係や地域性もあり、阪神タイガースの優勝時にセールを実施していた[117]。また、阪急東宝グループ(当時)の球団売却後には、神戸に拠点があったオリックス・ブルーウェーブの優勝セールも行ったことがある。

イッツ・ア・スモールワールド時計(世界の人形時計)[編集]

東京ディズニーランドのアトラクション「イッツ・ア・スモールワールド」のスポンサーだったそごうの一部の店舗には、正時の約5分前になるとアトラクションに登場するからくり人形と共にテーマ曲である「小さな世界」を演奏する「イッツ・ア・スモールワールド時計」(世界の人形時計)が設置されていた。

1985年(昭和60年)に開業した横浜そごうを皮切りに一部の新規、既存店舗に国内店舗全19台、海外店舗全4台の計23台が設置された。

ほとんどの店舗で地上または地下のメインエントランス部分に設置され、待ち合わせスポットとしても親しまれたが、大阪店(旧店舗)や奈良そごうのように店内に設置されている場合もあった。

最盛期(1994年6月の千葉店設置から同年10月の柚木そごう閉店までと、1996年の神戸店設置から2000年2月の茂原そごう閉店まで)には国内で18台稼働していたが、そごう破綻の影響もあり、からくり機能終了時点では10台となっていた。茂原そごうや奈良そごうのように撤去費用の面での問題があり撤去されていないもの一部あり、後者は壁で覆われている。人形の修繕工事も定期的に行っており、最初に導入した横浜そごうでは2006年(平成18年)に修繕工事を行った。時計の後ろにはメンテナンス用の扉があり人形の取り外しもできる。時計1つの金額は1億円以上と言われている。

以前、時計の有無にかかわらず全店で毎正時に館内放送で時報を鳴らしていた。曲は冒頭に同様の"It's a Small World"を流した後、時報案内のアナウンスが流れていた。

2008年(平成20年)4月15日を以って「老朽化のため」として、設置されている全店舗で時計のからくり機能の運用を一斉に終了した。この日、最後の運用時に各店舗の店長が観覧客に対して感謝の意を表した。奇しくもこの日は、東京ディズニーランド開園25周年の記念日である。

これらのからくり機能を楽しみにしていた子供達に対し、「おにんぎょうさんたちは、おやくそくがあって、おうちにかえることになりました。」と全てひらがなで書かれた終了告知が一般の告知と共に掲示された。なお、時計自体は撤去されず、文字盤の人形のみ4月15日以降順序撤去され、時刻表示のみの「鐘が鳴る大時計」として現在も使用されている。

そごうの公式ウェブサイトでは、そごう横浜店(横浜そごう)のページのみ4月16日付けで告知された。また、朝日新聞大阪本社版や神戸新聞でも報道された。

この措置はそごうが同アトラクションのスポンサー契約を同日を以って終了したことが実際の理由であり、案内文中の「おやくそく」とは契約の事、「おうちにかえる」は人形の撤去をそれぞれ指していると推測される。時計の下にあった「イッツ・ア・スモール・ワールド」関連の掲示物は全て撤去され、一部店舗の時計にあった東京ディズニーランドのロゴは時計の文字盤同様の色のステッカーを貼り付けて対応した。なお、遠東SOGOの一部店舗では香港ディズニーランドのロゴ・仕様に変更(契約先の変更)した上で、現在も運用されている。そのため、遠東SOGOが香港ディズニーランドのイッツ・ア・スモールワールドのスポンサーとなっている。

なお、この時計は同じくかつて東京ディズニーランドのスポンサーだったセイコー製である。

時計の人形の種類と各店舗の違い[編集]

そごうの時計の人形は一部店舗で若干デザイン等が異なり、地域に合わせた限定人形が設置されていたりする店舗も存在する(徳島店、小倉店)。ここでは各店舗に設置されている人形等の違いを一部記載する。

ロゴの位置[編集]


横浜店等、1990年以前に設置されているタイプは、針の下のパネルにセイコーのロゴ、左下のパネルに(当時の東京ディズニーランドの)マーク左側の東京ディズニーランドのロゴが刻まれている(横浜店のみセイコーのロゴのみ刻まれている)。大宮店は1段表記で刻まれている。川口店等の1991年以降に設置されているタイプは、左下のマスにセイコーのロゴ、右下のパネルにマーク右側の東京ディズニーランドのロゴが刻まれている。3×9タイプのみ、マーク左側で1段表記(神戸店のみセイコーのロゴのみ刻まれている)である。

6のパネルのキャラクター(シンボル)の下の表記[編集]


初号機の横浜店は「?1985 Walt Disney Productions」と表記されており、広島店は「?1988 Walt Disney Campany」と、この2つの店舗のみ、表記に設置年が記載されている。それ以外の店舗は「?Walt Disney Campany」と、設置年が未記載である(4×4タイプの個体は設置されている人形が異なるため上記のような表記はかかれていない)。

設置店舗[編集]

店舗ごとにそれぞれデザインが異なっており、正方形(5×5マス)型・正方形(4×4マス)型・長方形(横)形・長方形(イッツ・ア・スモールワールド仕様で横)型の4種類がある。時計の両端、もしくは上にカリヨンが併設されている(大宮店のみ時計の左上のマス部分に小さいカリヨンが2つ連なって設置されている。呉店では鐘は上部に3つ設置されていた)。

鐘の鳴る回数は、以前は時刻に関わらず6回固定であった(奈良そごうは5回、福山そごうと広島店は「キーン」「コーン」をそれぞれ1回とカウントし時刻に連動した回数分鳴っていた)が、からくり機能終了後は全店舗で時刻に連動した回数分鳴っている。

遠東SOGO運営の一部店舗では鐘の音色が変更され3回となっている。

正方形(5×5マス)型の設置店舗は○。
正方形(4×4マス)型の設置店舗は●。
長方形(横)形の設置店舗は△。
長方形(イッツ・ア・スモールワールド仕様で横)型の設置店舗は▲。

日本のそごうの店舗[編集]


台湾の店舗[編集]


脚注[編集]

関連項目[編集]

西武百貨店
ロビンソン百貨店
ミナミ
有楽町で逢いましょう - 1957年(昭和32年)にフランク永井が歌った流行歌。翌1958年(昭和33年)には大映で映画化された。元々はそごう東京店開店時のキャッチコピー。
東京ディズニーリゾート - 東京ディズニーランドは開園当時(1983年(昭和58年)4月15日)、東京ディズニーシーは2003年(平成15年)4月12日から2008年(平成20年)4月15日まで、以下の施設のスポンサーをつとめていたが、現在は撤退している。
東京ディズニーランド - イッツ・ア・スモールワールド
東京ディズニーシー - ドックサイドステージ

外部リンク[編集]

そごう - 株式会社そごう・西武
遠東そごう
広三そごう
香港そごう
北京そごう
インドネシア・そごう
そごうクアラルンプール
そごう 経営破たん - NHKアーカイブス
出典:Wikipedia
2020/03/27 00:32
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