さいたま市
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4.歴史
4.3.中世
1160年(平治元年)の平治の乱の際、源義朝に従って破れた足立遠元は、その後足立郡に逼塞していたと考えられているが、1180年(治承4年)に挙兵して鎌倉入りした源頼朝から足立郡の郡郷領掌を安堵され、以後有力御家人として重用された。足立遠元の屋敷は現桶川市川田谷に比定する説と、現さいたま市西区の植田谷に比定する説とがある。この他、鎌倉時代に現さいたま市域に勢力を有した武士として、鼻和氏、麻弥屋氏、箕勾氏、渋江氏、柏崎氏などがある[19]
戸田市西部からさいたま市南区西部にまたがる佐々目郷は、1293年(正応6年)から4度に分けて鎌倉鶴岡八幡宮寄進されたが、1394年(応永元年)以降、鶴岡八幡宮による支配に抵抗する農民の闘争がたびたび生じた[20]
室町時代の関東地方では幾度にわたる戦乱が生じ、現さいたま市域もその戦乱の場となった。観応の擾乱においては、1350年(観応元年)に羽祢蔵(現:桜区羽根倉)にて合戦が行われ、足利尊氏方の麗経澄が足利直義方の難波田九郎三郎らを破っている[21]
また、享徳3年12月27日1455年1月15日)に享徳の乱が勃発すると、現さいたま市一帯は古河公方方と関東管領方との対峙の場となった。1456年(康正2年)には、古河公方の足利成氏の家臣である簗田持助が足立郡に討ち入ってその大半を押領した。また岩付城は、関東管領方の(扇谷上杉持朝の家臣である太田資清資長(道灌)父子による築城であるとする説と、古河公方方の成田正等による築城であるとする説とがあり、築城後も太田氏が城主となった時期について複数の説があるなど、両勢力の角逐が続いた。
その後、長享の乱(1487年 - 1505年)における長期間にわたる山内上杉家扇谷上杉家との抗争を経て、関東地方における上杉氏の力は消耗し、かわって後北条氏の勢力が次第に拡大することとなった。1524年(大永4年)には北条氏綱の勢力がすでに三室郷に及んでおり、この頃から現さいたま市域一帯は岩付太田氏の勢力と後北条氏の勢力の接点となったが、やがて1546年(天文15年)の川越夜戦にて北条氏康軍が勝利すると、武蔵国における後北条氏の勢力拡大はさらに本格化した。そのような状況下で、やがて1564年(永禄7年)には太田氏資がその父である太田氏清を追放して北条氏康に内応し、その結果、一帯は後北条氏の支配体制下におかれることとなった[22]
しかし、1590年(天正18年)には豊臣秀吉による小田原征伐の過程で岩付城も陥落した。これにより後北条氏による支配は終わり、かわって豊臣秀吉の命で関東地方を与えられた徳川家康が関東入りした[23]
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(4.4.近世)

19. 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)121、220、982頁、『図説 浦和のあゆみ』(1993)73 - 74頁
20. 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)121頁
21. 『図説 浦和のあゆみ』(1993)77頁
22. 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)983頁、田代脩・塩野博・重田正夫・森田武『埼玉県の歴史』(1999)118 - 119頁
23. 『日本歴史地名大系11 埼玉県の地名』(1993)983頁、田代脩・塩野博・重田正夫・森田武『埼玉県の歴史』(1999)137 - 138頁

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出典:Wikipedia
2017/12/12 14:00
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