4.8.1970年代
1970年代も日本映画の集客力の凋落は止まらず、内訳で見た場合、1971年に公開された367本のうち、大手5社の占める割合が約4割に激減した。逆に、低予算で製作可能なピンク映画や独立プロによる映画が躍進している。倒産した日活は労働組合を中心に再建がなされ、1971年より
日活ロマンポルノとしてロマンポルノ路線を断行した。
また、スターシステムの崩壊により俳優は製作会社への所属から作品ごとの契約へと切り替わりが進んだ。前時代に活躍した監督についても、資本を海外に求めた黒澤や大島、ドキュメンタリーへ転進した今村など、徐々に消えていくこととなった。低空飛行を続ける現代劇とは裏腹にアニメーションやドキュメンタリーの分野においてはこの時代に発展を見せ、後の礎を築いた。1977年公開の『
宇宙戦艦ヤマト』では日本映画で初といわれる徹夜組が出た。1979年には『
銀河鉄道999』が公開され、1979年度の邦画の邦画配収第一位となり、アニメ映画史上初の快挙となった。映画としてアニメ映画が評価されなかった
(注1)時代に異例の評価を得る。
■ 松竹
松竹では1969年より開始された
山田洋次による『
男はつらいよ』のシリーズ化により国民的人気を勝ち取る事となった。このシリーズは30年近く、48本の映画が製作され、1983年、「世界最長の映画シリーズ」として
ギネス・ワールド・レコーズに登録されている。
■ 日活ロマンポルノ
日活の転進はそれまで所属していた大物俳優や監督との訣別を意味した。例えば
小林旭や
渡哲也は東映へ、
宍戸錠はテレビへと活躍の場を求めている。逆に今まで機会のなかった新人監督や俳優が次々と出現し、業界の停滞期において、唯一といっていい人材育成の場所となった。日活ロマンポルノは1988年まで週に2本というペースで製作がなされ、
神代辰巳、
田中登、
小沼勝、
池田敏春、
中原俊、
黒沢直輔、
金子修介といった多数の人材を輩出している。
■ 東映
学生運動の衰退に伴い、東映の任侠モノは色あせた映画と評されるようになった。一方で
深作欣二の
仁義なき戦いシリーズや
伊藤俊也の
女囚さそりシリーズ、
内藤誠の
不良番長シリーズなどが人気を博し、「実録路線モノ」などと呼ばれた。仁義なき戦いシリーズに続き
トラック野郎シリーズに出演した
菅原文太はここでも人気を呼び、日本映画界を代表するスターとなった。
1.津堅信之『日本アニメーションの力 85年の歴史を貫く2つの軸』NTT出版、2004年。